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学ぶと働くをつなぐ授業拝見[Clip Number 017]山口大学大学院
山口大学大学院博士後期課程「やまぐち未来創発塾」
2025/06/13
山口大学大学院の「やまぐち未来創発塾」は、科学技術振興機構(JST)の事業「次世代研究者挑戦的研究プログラム(SPRING)」(以下「SPRING事業」)に採択された「深化した“シン・文殊グループ”を核とする異分野融合研究実践型博士後期課程学生育成プロジェクト」に基づき実施されている。SPRING事業の趣旨に沿って、トランスファラブルスキル、キャリアデザイン、国際性、研究力を涵養する一連の教育プログラムで、特徴的なのは、トランスファラブルスキルと異分野融合研究力を養う実践的な場として、3人1組の「シン・文殊グループ」活動を置いていることだ。
3人1組の異分野融合研究でトランスファラブルスキルを涵養
科学技術振興機構(JST)のSPRING事業では、博士後期課程学生をさまざまなキャリアにおいて活躍できる博士人材へと導くことを目的に、研究支援とキャリア開発・育成が一体的にマネジメントされる。また、研究に専念できる環境を整備するために、選抜学生には研究費とは別に生活費相当額として研究奨励費が支給される。
山口大学大学院では、事業初年度の2021年度に採択を受け、2022年度から「やまぐち未来創発塾」を本格実施。SPRING事業が「大学フェローシップ創設事業」と一体化された2024年度にも改めて採択され、事業を続けている。募集対象は4つの研究科の博士後期課程学生で、年度により異なるものの約10~20名が新たに選抜される。

SPRING事業の趣旨は、国際性・学際性の涵養、キャリア開発、トランスファラブルスキル(能力)習得などのコンテンツを博士後期課程学生に提供し、多様なキャリアにおいて活躍するために求められるコンピテンシー(行動特性)を育成することだ。
山口大学のプログラムもそれに沿って、トランスファラブルスキル、キャリアデザイン、国際性、研究力を養成する複数の要素からなるが、採択事業名に「深化した“シン・文殊グループ”を核とする~」とあるとおり、核となるのは、学生同士3人1組で異分野融合研究に取り組む「シン・文殊グループ」活動だ。
事業統括を務める堤宏守教授(創成科学研究科/工学部 応用化学科)は、「グループは研究科や学年がなるべくバラバラになるようにして、相互理解や異分野融合研究の実践・練習の場としています。チームとして成果を出す過程で、トランスファラブルスキルを身につけることも考えました」と狙いを説明する。

全体の人数が3の倍数でなければやむを得ず4人組を作ることもあるが、適切なのは3人グループだ。「4人以上だと遊んでしまう人が出てくることもあるし、学生も、やはり3人がある意味緊張感もあってよいと言います」(堤教授)。「三人寄れば文殊の知恵」というとおりなのだろう。「シン・文殊」という名前は、この成句に加え、SPRING事業の募集があった2021年前半が庵野秀明監督の『シン・仮面ライダー』の制作発表などが話題になっていた時期で、「庵野監督が山口県宇部市のご出身ということもあり、少し便乗した」(堤教授)という。
各グループには学生3人の指導教員以外の教員がメンターとしてつく。役割は、活動の進捗把握と必要に応じての助言。「例えば学生が方向性に迷ったときに、少しアドバイスをしてもらいます。グループの学生の指導教員ではないので、違う専門の立場から『こういう考え方もあるね』と言ってもらえるのも良いことではないかと思います」。
プログラムの開始時には、グループ活動の進め方として以下の手順が示される。
(1) 3人とも知らない者同士なので、まずは自己紹介
(2)自分の博士研究をまったく分野の違うメンバーに分かりやすく説明
(3)質問や意見交換の中で、メンバーそれぞれの強みを把握
(4)各自の強みを意識して、グループで取り組む異分野融合研究のテーマを決定
(5)オンラインミーティングによる打ち合わせや実際に実験をするなどで研究を進める
(6)研究発表会「山大研究者トーク」で成果報告

「我々が考えるのは、課題に対してどう向き合うか、自分自身がどう成長するか、人に対してどうコミュニケーションを取るか、ということです。この手順から分かるとおり、対課題、対自己、対人のスキルがすべて、このグループ活動には含まれています」(堤教授)。
ときにはグループ分けについて「分野の似た人同士を一緒にした方が良いのではないでしょうか」と言う学生もいるが、「まったく知らない人と初めて会って、そこからどうやってコミュニケーションを取り、1つのことをまとめていくのかという過程を経験していくためのグループだから、当然ランダムに組むのだ」と説明すると、学生の理解は得られるという。
研究分野が異なると、まず使う道具が違うなど、課題へのアプローチが異なる。例えばある分野では当たり前の実験手法が自分の専門分野ではまったく使われていないとすれば、それを使えば何か面白いことができるのではないかという気づきがあるかもしれない。「場合によっては、自分の博士論文のテーマに関わってくる可能性もあります。そういうところまで汲み取ってもらえると、より良いと思います」(堤教授)。

「シン・文殊グループ」の異分野融合研究には、学際的でユニークなテーマが並ぶ。堤教授が好事例として挙げるのは、昆虫食に関する研究だ(2024-11)。
イナゴやコオロギといった昆虫食を専門とする学生の研究紹介から「食べやすいものと食べにくいものでどこが違うのか」と話が展開し、調理方法によって昆虫の外骨格、つまり殻の硬い部分の硬さが変化し、食べやすさに影響するのではないかという仮説を立てて、適した調理方法を見つける、という研究につながったものだ。調理法のアイデア出しや実際の調理は昆虫食に取り組む学生と文系の学生が協力して行い、硬さの変化は機械工学系の材料評価を専門とする学生が計測した。まさにそれぞれの強みを発揮した事例だろう。
「今年度からは、地域や地域の企業が抱える課題をテーマとして取り上げることを検討しています。詳細はまだ決まっていませんが、本来は地域課題にもっと関心を持ち、研究に取り組むことも重要と考えています」(堤教授)。
「メンター」「アドバイザー」の適度なかかわり
「シン・文殊グループ」の活動は、教員のメンターと特命専門員のアドバイザーによって支えられている。
メンターは、SPRING事業に選抜されている学生の指導教員が、自分の指導する学生のいないグループを担当する形をとっている。指導教員とメンターとを同じ人にしないのは重要なポイントだと堤教授は言う。「博士の指導教員は、まず学生に博士号を取得してほしいという思いがあり、グループ活動がその妨げになるのではと少し懸念しています。ですから指導教員にグループの活動内容が分かってしまうと、学生が自由に動けなくなります。メンターはまったく違う研究科や専攻の教員が良いのです」。
グループへのかかわり方はメンターによって異なり、学生のミーティングにほぼ毎回参加する人もいれば、ときどき顔を出す程度の人もいる。「第1回のグループミーティングには必ず参加してくださいとは伝えていますが、それ以降はある程度お任せしています。また、過干渉にはならないようにとお願いしています」(堤教授)。
メンターの仕組みは、「シン・文殊グループ」活動への教員の理解を深める役割も果たしている。自分の学生が別の教員のメンターにお世話になり、代わりに自分も「まったく関係のない学生たち」のメンターを引き受けるわけだ。すると、実際にメンターを務めてみて、自身の考えが狭かった、このような活動も重要だと考えを変える教員もいるという。
さらには、メンター同士、あるいはメンターと指導教員との間で、共同研究につながった事例もある。山口大学では中期計画にも異分野融合研究・教育の推進が記されているが、教員同士が連携するのは意外に難しいという。むしろ、学生同士が話す中で「こういう化合物を持っているけれど、何に使えるかわからない」「うちの研究に使えるかもしれないから、指導教員に聞いてみよう」といった連携に期待がかかる。「学生が新しいことに挑戦しているので、先生方も巻き込まれていく、言わば『牛に引かれて善光寺参り』のような面白い状況になれば良いと思っています」(堤教授)。
「シン・文殊グループ」活動はやまぐち未来創発塾のいわば「必修」なので、選抜された学生全員が参加するが、参加者間で温度差が生じることもある。自分の研究に強いこだわりがあって「異分野融合に意味があるのだろうか」と疑問を抱いたり、学位論文を書くための研究との両立が難しいと感じたりする学生もいるためだ。
そこで効いてくるのが、博士学生全体の支援を行うアドバイザーの存在だ。配置されている3人はいずれも定年退職した教員で、博士学生の指導経験も豊富だ。メンターとも指導教員とも異なる立場のアドバイザーは、研究と異分野活動のバランスについての相談にはまさに適任だろう。

さまざまな困難がありながら、学生たちからは、3人で一緒に作業を進めると、コミュニケーションを取ることでいろいろと勉強になると好意的な意見が多い。
「3人でさまざまな話をしていると、場合によっては研究の話ではなく、悩み相談のようになり、自分一人だけが大変なわけではないと分かるといったこともあるようです」と堤教授は言う。強制的に作ったグループでも、その中でお互いの苦労を話し合ったりする関係性が次第に生まれるようだ。
「対自己基礎力」が短期間で大きく伸長
この取組の大きな課題の1つに、「シン・文殊グループ」活動により、学生のトランスファラブルスキルがどのように変化したのかを十二分に把握できていない点があった。そこで2024年度からSPRING選抜学生にPROGテスト(社会人向けPROG@work)を受験してもらい、対人・対自己・対課題の基礎力について客観的な評価を行うこととした。

2回の受験は2024年6~7月と2025年2~3月で、その間隔は半年強と長くはないが、大項目では「対自己」のスコアが大きく伸長していた。「対自己」を構成する3つの中項目のうち、自信創出力と感情制御力の伸びがとくに大きい。小項目では、自信創出力の「学習視点機会による自己変革」(学習することによって自分は変われると思う度合い)、感情制御力の「ストレスコーピング」(自分のストレスをエネルギーに変えていこうとする姿勢)の項目が有意に上昇していた。
もちろん、「シン・文殊グループ」の経験だけがこれらの能力、行動特性の向上に直接影響を与えたと断定することはできない。また、2回受験によってスコアの比較ができたのが20人と少ないため、この結果から統計的に何かを語るのは難しい。そこで次に、具体的にどの学生がスコアを伸ばしたのかを堤教授に示して、属性やプログラムへの取り組み姿勢などに共通する要因があるかを尋ねた。
すると、「研究科や専攻は同じ人もいるが、同じ研究室の人はいない」「学年はまちまち」とのことだった。また、同じグループのメンバーがそろって伸長している例もあればそうでない例もあり、所属グループやテーマも、スコア伸長の要因ではなさそうだ。「共通点としては、“シン・文殊グループ”の活動に、ある程度一生懸命取り組んだことですね。一生懸命にも2通りあって、1つは、グループの皆が協力的だったから一生懸命やれたという場合。もう1つは逆に自分が頑張らなければ何も動かないという状況で一生懸命やったという場合です」(堤教授)。
「シン・文殊グループ」以外に、ジョブ型研究インターンシップへの参加がスコア向上の一因と推測できる例もあると堤教授はいう。「あまり日本語が堪能ではない留学生で、ジョブ型研究インターンシップでは英語での対応が可能な企業に行き、そこではすべて英語でやり取りをされていたそうです」。コミュニケーションの主体がどうしても日本語になりがちな大学内の環境を離れて、英語で研究インターンシップに取り組んだことが基礎力伸長に影響したのではないか、というわけだ。
本人が基礎力伸長を実感できるのが修了後ということもあるようだ。堤教授が挙げたのは、日本語がまったく分からないという留学生を含むグループにいた日本人学生の例だ。留学生は英語しか分からないので、日本語で行われたグループミーティングの内容を英語に翻訳してまとめ、それを渡して、どのような話があったかを伝えていた。現在その学生は大学院を修了して企業に勤務しているが、その経験が、さまざまな人の意見をまとめて資料を作成するという業務の訓練になったと感じており、「やっているときはしんどかったけれど、今となっては良かった」と語っているという。
20年後まで見越した「博士人材に必要な基礎力」
学生の進路に関しては、SPRING事業の検証として研究科修了後10年間追跡調査を行うことになっており、選抜学生の進路データはあるが、それ以外の博士後期課程修了者との比較分析は困難という。
山口大学の全体的傾向では、博士課程の学生の意識が少しずつ変化しているという。いわゆるアカデミアに進み、研究者になることを強く意識している人ばかりではなく、企業、つまり産業界で働くことを視野に入れる学生が増えており、修了後、およそ半分の学生はアカデミアに進むが、残りの半分は民間企業に就職する。とはいえ、入社した企業では研究所などに配属されることが多く、研究自体を辞めてしまうわけではない。研究職以外のキャリア、つまり研究所ではない一般企業などに就職する例はあまりないようだ。
民間企業の場合、大学で学んだ専門分野と異なる分野の研究開発を求められることもままあるだろう。堤教授の観察では、比較的応用に近い研究分野の学生は、会社に入ればテーマも変わるだろうと考えており、その点をあまり気にしていないが、基礎科学に近い分野の学生は、自分の研究に集中してしまう傾向がややあるかもしれないとのことだ。そんな学生は、「大学で学んだことに固執せず、求められた分野に進むべきか」「それまでの専門の延長線上にある研究がよいのか」と悩むかもしれない。そんなとき堤教授は、「いま君が専門としている分野が、10年後、20年後にはなくなっている可能性もある」と話すという。「物事の考え方や進め方といった基本的なスキルは、分野が変わっても共通して役立ちますから、『専門分野そのものがなくなっても、自分自身はちゃんとやっていける』ということが重要だと伝えています」。
たとえ分野がなくなっても研究者としてやっていけるという自信と能力。それこそが研究者に必要なトランスファラブルスキルだろう。